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20年、そしてこれからも歴史ロマンを発信する空間~荒砥城跡(千曲川城山史跡公園)~

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更新日
2016年02月08日

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 荒砥城跡(千曲川城山史跡公園)は、上山田温泉(千曲市)の背後に聳える城山の頂に位置する。
 最近では、NHK大河ドラマのロケ地としても活用されている。竣工から20年。その経過と近況をレポートする。

 この場所は、1968(昭和44)年にロープウェイ山頂駅、またその周辺を観覧車や動植物園が整備され、賑わっていた時期を経て、1990(平成2)年にこれらの施設が廃止された経緯がある。施設廃止の頃、町(旧上山田町)史跡に指定、町有地となったこともあって史跡公園化の機運が高まり、当社ではその構想策定から、実施設計・監理を担当した。業務に着手した頃は、旧施設の撤去が始まったばかりで、荒涼とした景観であった。

 構想策定から実施にあたっては、長野県考古学会長も務められた故森嶋稔先生をはじめとする多くの専門家からの助言を得ながら、往時を偲ばせる空間整備を検討した。施工に際しても、地元の樹木から拵えた木柵など、素材や技術もできるだけ往時を想定しての工夫が凝らされ、大勢の方々の協力により、1995(平成7)年6月に竣工となった。「史実に基づいて復元された戦国期の城跡」とも評される作品に仕上がった。
 山頂からの眺望は、歴史マニアには堪えられない絶景。南方は、村上義清の本城であった葛尾城のある山から、千曲川、笄(こうがい)の渡し(写真では橋となっている場所)が眼下に望める。北方に視線を移せば、そこには川中島平が広がる。歴史にロマンを馳せる瞬間だ。

 荒砥城の築城は、500年近く前となる1524(大永2)年頃の山田氏(村上氏の支族))によるとされる。その後、上杉謙信、武田信玄による争奪が繰り広げられた後、両雄が激闘となる川中島の戦いへの発展した。1584(天正12)年、北信濃一帯が上杉景勝の領地となり、この時に荒砥城は廃城となった。
 2007(平成19)年には、NHK大河ドラマ『風林火山』(山本勘助:内野聖陽、上杉謙信:Gackt)のロケが行われた。武田晴信(=信玄:市川亀治郎)の初陣の地、「海の口城攻防戦」が撮影され、数回(第7~8話など)にわたって放映された。さらに、2011(平成23)年には、NHK大河ドラマ『江 姫たちの戦国』第1回(湖国の姫)放送にてお市(鈴木保奈美)が嫁いだ浅井長政(時任三郎)の小谷城の建物といて使われている。

 2016(平成28)年。再び大河ドラマ『真田丸』がスタート。上田市から長野市(松代町)などは早くも真田丸効果で来訪者が急増している。荒砥城と真田氏の関係では、真田信繁(幸村)の祖父である幸隆が、砥石城(上田市)で、荒砥城主山田国政を急襲したとされるなど興味が尽きない。2016(平成28)年4月からは、荒砥城跡で観光客を案内するボランティアグループができるとのこと。このため、千曲市教育委員会や県立歴史館ではボランティアガイドの養成講座がスタートする。これまでも、地元団体が実行委員会を組織して「荒砥城まつり」(平成27年で第19回)が開催されるなど、地域にも愛され、多くの来訪者が訪れている。

 竣工からちょうど20年が経過した公園。これからも、歴史ロマンを発信する空間として来訪者を魅力してくれるはずだ。

【撮影:2015(平成27)年10月6日、レポート:2016(平成28)年1月27日


名称:千曲川城山史跡公園(荒砥城跡)

主な施設
 本郭:館(城主の館)、展望台、兵舎、門(冠木門、櫓門)
 二の郭:兵舎(映像室、展示室)、櫓(井楼櫓)、門(矢倉門)
 三の郭
 四の郭
 駐車場、便所、案内所

入場料:300円(団体250円)

参照
・『甦る四百年の歴史 荒砥城跡 千曲市城山史跡公園』千曲市パンフレット
・長野市民新聞 2016(平成28)年1月16日 

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